A.看護師として働きながら通信制の大学を卒業

看護師になった当初は関西に住んでおり、関西では有名な大規模な病院が最初の職場でした。そこで働いている間に呼吸療法認定士の資格を取得しました。最初の職場では、患者さんと一緒に花火大会に浴衣を着て行ったり、経管栄養をされている患者さんの外泊に付き添ったり、かなり親密な交流をする機会がありました。その後、家族の事情で神奈川に引っ越すこととなり、6年目から近くの公立病院に移りました。

その頃から並行して通信制の大学に通い始めました。父が脳死状態になったときに物のように扱われ、それに対して嫌悪感を覚えたことがきっかけで、哲学や心理学を学びたいなと以前から思っていたからでした。これからも患者さん本人やその家族の希望を少しでも実現するお手伝いがしたい、働きながら大学で学んだ時期は、そんな思いにも支えられていました。

B.術後合併症に苦しむ患者に出会い、感染管理認定看護師受験

2つ目の職場を辞めて1年ほど学業に集中したあと、当院に入職しました。入職後は頻繁に異動があり、ICUや内科、脳神経外科など様々な科を回って、それぞれで感染管理の面から改革していくような役割を担っていました。その過程で術後合併症に苦しむ多くの患者と出会いました。例えば、人工骨頭を入れる手術をした患者さんが、術後に細菌感染を起こして再手術が必要になったことがありました。何度も痛い思いをさせてしまうとともに、手術が続くことでなかなかADLも上がらない、そういう姿を何度も見てきました。そんな患者さんの苦しみを少しでも軽減したい、助けたいという思いを持っていました。

そして感染制御チーム育成研修に参加したことをきっかけに、上司のすすめもあって感染管理認定看護師を目指すことを決意しました。

C.師長としての責任とやりがい

認定を取った直後、看護師になって16年目に循環器・泌尿器の混合病棟の師長に昇進しました。当時はできることが広がって、責任の大きさにやりがいを感じ、先頭をきって周囲を引っ張っていこうと思いました。

しかし2年後に母が病気になってしまい、感染防止対策室の専従に異動することになりました。もともと臨床の立場から患者さんの思いに応える看護をやりたいと思っていたので、専従で感染管理をやることで臨床や指導から離れてしまうのはとても残念で、一時はすっかりモチベーションが落ちてしまいました。 ですが、私が講じた対策を病院全体の方々が実施してくださりそれが習慣となっていくことで、感染のリスクを下げ、将来にわたってより多くの方の安全を確保できる、非常に意義のある仕事だと思えるようになりました。日々の努力の甲斐があって、少しずつ標準予防策が浸透してきており、感染性胃腸炎やインフルエンザのアウトブレイクの発生率は低くなってきています。